2006年03月09日

知識と情緒

今朝の産経新聞に面白い記事が二つあったよ。
と言ったら、興味を持った人が調べればすぐ読めるようになればいいな。
WEBの時代でもやっぱり手に入る情報と入らない情報がある。
ま、そういう制限も必要かも、とも思う。
何でも思い通りにならないことは悪いことばかりじゃない。

自分の中に、興味のあるものをもっと知りたいという流れと
誰かと話すときにちょっとでも知っていれば理解しやすいだろうから
どこから何の話を持ってこられても言葉ぐらいは聞いたことがあると言う程度にでも
なっておきたいと思って浅い知識を拾い集めようとする流れがある。

情報の共有をしたいのです。知識の共有、感情の共有

ある事柄について、別に同じ感想を持たなくてもいいの。
私はこう思うけど、この人はそうなんだぁ^^ってのがわかったら、
そーゆーのがうれしいの。同じだったらそれもまたうれしい。

*************
面白かった記事のうちひとつは
「正論 教育に情報の真贋見分ける知恵を 森隆夫」 
『情報の英語は、と訊くとほとんどがインフォメーションと答える。
「CIA」は中央情報局と訳されているが原語ではCentral Intelligence Agencyだ』
という情報も面白かったし後の内容も頷けるものだった。
毎朝ポストに入れてもらえる新聞は、WEB新聞と違って
そこを読もうと意思を持ってクリックしなくても
ページを繰っているうちにいろんな言葉や写真が
目に留まるというメリットがあるなぁと思う。

パソコンは大好きで恩恵にもめっちゃ与ってるけど
やっぱしそれだけじゃなくて私は紙に書かれた文字を読むのが好きだ。


面白かった記事のふたつめ、菜の花忌第10回シンポジウム

その中の井上ひさし氏の発言
『(前略)もう一つの特徴は「この人はこうなった」と言う書き方です。子規が英語を勉強したとき面白い教え方をした先生がいた。司馬さんは「この先生が後の高橋是清です」と書いてあるんです。「あっ、高橋是清が先生をしていたんだ」と、読者の記憶が活用され、どんどん小説に引き込まれていきます』
ね、これこれ、これなんだよねぇ^^と、誰かに同意を求めたくなる。
今入った知識が、前から入ってる知識とつながった時の快感。
あー、私の思考回路をこんな風につなげてくれたのはやっぱり司馬さんだったんだ、と
再認識して、それを言葉にしてくれた井上氏にもありがとうって気持ちだよぅ^^

もうひとつ井上氏の発言
『司馬さんが(坂の上の雲の)三人の主人公にどのような気持ちを抱いていたか、私なりに分析しますと、それは「いじらしさ」ではないでしょうか。たとえば、私はデパートの屋上から下を見た時、一瞬、人間が虫けらのように見えるんですね。でもすぐに、あの人たち一人ひとりが、自分と同じように悩みながらも一生懸命生きている、と実感するんです。「ああ、人間て、なんていじらしいんだ」と。僕は司馬さんの作品を読んでいるとそのような「いじらしさ」が伝わってきます。』
あぁ〜〜〜!!そう!そうなんですよぅ〜!(感涙)
私、このシンポの会場にいってなくてよかった。(もともと行く予定も何もないですが^^;)
もし行ってたら壇上に飛び出していって無理やり握手をして警備員に押さえつけられるところだよ。

菜の花忌シンポに関する情報は手に入れられる手段が新聞の他にもあるようです。
興味を持たれた方がもしおられたら、どこかでその情報に出会えるといいな^^

**************
一時、たかが、どうせ、誰かの頭の中の作り事ぢゃん、と
小説に魅力を感じなくなってた時期があって
ドキュメンタリーや歴史書にしか目が行かなかった。
でも、作り話も評論、レポートも同じように誰かの考えなわけで、
その考えの表現の仕方をストレートにするか、比喩にするかっていう違いかと思って
また小説を手にするようになった。

情緒は論文などを読んだだけでは育たないかもしれない。
実際の生活の中で人の気持ちを汲むことが一番だろうけど
小説を読むことで登場人物、作者の感情を推し量り共有しようとすることが
模擬体験になり、情緒を育てる訓練になるでしょう。

情緒を養うことと知識を貯めるために読むことを
両方バランスよく取り入れて楽しみたいと思いまふ^^
posted by ぴよ♪ at 10:25| Comment(2) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

裁判の話

びわさんのブログを読ませてもらって

関係ないけど私の母方の曾ばあさんと大叔母が産婆さんで
なんとなく産科のお医者様には勝手に親近感を抱いてます。

びわさんの取り上げている事件に関しては
本当に、大きく報道された記事を読んだこともなく
世間の関心は薄いのかな、と思いますが

産科小児科のお医者さんが少なくなっているという話は
別のところで聞いたことがあります。
陣痛促進剤とかを使って親やお医者さん側が出産の時間を決めるのでなければ
出産は24時間、いつ起こるかわからない、
今は診察時間じゃないから待っといて、とかいう都合の効かない事柄で
それにかかわるお医者様はめちゃめちゃ大変やな、と思います。
乳児の時に救急で助けてもらった息子のことを思い出すと
小児科のお医者さんも大変やなぁー、と実感を伴って想像できます。
もちろん他のお医者様も大変なことはわかっていますが
このごろ頓に産科小児科医のなり手が減ってきたというニュースを耳にします。

なくなってしまわれた赤ちゃんのお母様のことは
すごく悲しく残念に思うけれど
びわさんもおっしゃるように神でない限り100%うまくいくなんてありえない。
それで逮捕されるとなれば医者のなり手はもっと減っちゃうでしょう。

なんだかねぇ・・・
命ってもともと、ガラス細工のように危ういものだと思うのですよ。
今のように医学科学が進歩してくると、人間にできないことはないと
勘違いする人も出てくるようですけど
もともと、命には限りがあるってことをもっと覚悟するというか
きちんとわかって、それを助けてもらうってのはすごいことだと
ありがたいことなんだと感じる人が増えるといいな、と思いますですよ。
と、患者側がこう思う、そしてお医者様は繰り返される仕事のうちのひとつだとしても
一人一人に人生があることを思い、一つ一つの命を大切にしていこうと
思っていただければ、バランスがとれるかなぁ、と思うのですよ。

そんな風な視点でみると、この裁判、理不尽にも近い
悲しいものになってるように思います・・・。
裁判官だって100%満足な結果を得られるわけではないことは
この事例そのものからでも思い至る。。。
お医者さんがそうであるように・・・。

この事件の当事者のことなど何も知らずに無責任に書いておりますが
患者側の腹の括り方、裁判というものをチョー乏しい知識で少し考えてみました。
posted by ぴよ♪ at 10:15| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オーラ

怪獣王子ではありません。
(・・・ほとんどの人がわからんやろな^^;地球の平和守るんだ♪)

ショートプログラムで私を感動させてくれたスルツカヤ選手は
緊張?プレッシャー?体調不良?で、結局3位。
優雅に滑った荒川さんが金メダル。おめでとうございます。

エキシビションでは金メダルに恥じない演技で魅せてくれましたな。
衣装などはもし3位とか4位だったとしても同じものを使ってただろうから
あと何が違うかってーとメイクとかヘアスタイルとか表情、姿勢。
オーラですわ。無言でいても立ち昇る、目にはさやかに見えねども
驚かれぬる王者の気配。荒川さんの場合は情報から勝手にこちらが
感じるってこともあるかもしれない。

(けど、らいばるスグリさんちでみつけたこの写真はどことなく「貫禄」を醸し出したはります。)

それにしても一夜にしてえらい変わるもんやなと感じた人は多いようで
新聞の写真にもそんな一言が添えられてました。

**********↑ここまでは2月27日に書きました。

エキシビションの時には毅然とした顔つきや態度から貫禄を感じたけれど、
帰国して空港で大勢の人にもみくちゃにされてた彼女は普通の若いお嬢さんでした。
それでも渡航前と後では肌の張りや明るさなどに違いを感じた。よーな気がする。
(どないやねん^^;)

私は“パッと見"で人を見抜く力があんまりないようで
付き合ってみると第一印象とは違ってると感じる経験を割とよくします。
そんな私でも今回はオーラが読めたような気がするのだけど
空港での写真を、行く前、帰る時と選り分けることができるだろうか^^?

例えばものすご〜く偉いお坊さんが袈裟を着てなくて
普通のおっちゃんの格好してたら多分私はわからない。
わからない私はやっぱり見た目で判断することなく
少しでも会話した時に感じられる、
波長の合う部分に目を向けていきたいと思うのでした。

あー、また今日も初めに書こうと思った内容と違ってしまった^^;
あったまわるぅ〜あせあせ(飛び散る汗)
posted by ぴよ♪ at 07:25| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月22日

「わかる」について考えたこと

また、ほりさんの記事を読んで考えたこと
しょっちゅうネタをもらってますな^^; すみませぬm(_ _)m

うちの息子たちや、私の出会った小学生はまさに円周率約3の世代です。
このニュースを聞いた時「日本の子供をアホにしよう委員会か何かの陰謀が実行に移されたぞ
気をつけろ!」と子供達に言ったのですが、まんまと陰謀に嵌ってしまい
考えることをめんどくさがる子がどれだけ増えてしまったことかorz
(いや、それのせいだけでないことはもちろんですが^^;)
算数の教科書に電卓マークがついたのもその頃なのかな。
小学生が計算をしないでどうする!と憤ったものでした。
文科省の本当の狙いはなんだったのか、知りたいです。

「知りたい」と思う。疑問がわく→わかりたい
ひとつの問題の答えが見つかってスッキリしても、そこからまた次の疑問はわき続ける。
「その答えは○○。じゃあどうして○○になったんだろう」とか
ある問題に関する頭の中の霧が晴れても、その上にまた雲がかかったり
ふと横に目をやるとうろこ雲状にわからないことが点在していたりするのです。

わからないからわかりたい という欲求を満たす
別にわからんでもいいと思うことについては深く考えない
考えても太刀打ちできそうにないことには首を突っ込まない
わかりたいこと、理解しなくてはいけないことから優先的に解決を図る。

そうしてわかったこと、覚えたことをいっぱい頭の抽斗に入れていく
今入れたことが前から入っていた別のこととつながったりすると
「楽しい」「うれしい」「気持ちいい」という快の感情がわいてくる。
この種の感情をもっと味わいたいと思えれば勉強も楽しくなるだろうに。

お勉強が苦手な子は「わかりたいこと」が学校で習うこととは違ってるんだろうなぁ。
私の経験上そう思う。それはある程度は仕方のないことだと思う。
でも、自分の興味ある分野でもわかろうとしたり身につけようとする努力は必要なわけで
学校は、学習内容を頭に入れさせるだけでなく
わからないことを解決する道筋の立て方を知ったりとか
簡単にわからなくてもあきらめないでがんばるとかいう力をつけるためにも
いろんなことを体験させるところなのだと思う。



世の中わからないことだらけである。
ということを受け容れた上で「わかった」を増やして快感を味わえると
人生楽しいよ、と私は思う。。。^^

また書き直すかも^^;
posted by ぴよ♪ at 07:27| Comment(6) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月13日

司馬遼太郎さんがなくなって昨日で10年。
ってことで、産経新聞に宮城谷昌光さんの記事が載っていた。
宮城谷さんは司馬さんが会いたいといった最後の作家ってことで
「太公望」の連載をはじめた頃対談した、その40日後に司馬さんがなくなったと。

日経新聞に連載された太公望、父も私も毎朝楽しみに読んだ。

父が亡くなる1週間ほど前が太公望の最終回だった。
入院してからは自分で日経新聞を買っていたんだったか、
私が持っていってたんだったか、もう記憶にない。
毎日欠かさず自分で読んでいたのだけど
最終回の日は字を目で追うこともしんどいようだったので
私が声を出して読んだ。
それから、か細くなった声で周の話、春秋左氏伝の話など
小説ではこうだけど歴史書にはこう書かれてるとか
話してくれたんだけどよく聞き取れなかった。残念。

今日のテーマは司馬さんなのか宮城谷さんなのか父なのか
自分でもわかりませんが^^;
最近読んだ文章の中に
「形のないものを継承していくのが教育であり伝統である」みたいなのがあった。
(養老さんと誰かの対談の中にあったのかな?)
私は父からも、司馬さん、宮城谷さんからも
自分でもはっきり言葉にはできない精神の支柱みたいなものを
受け継いでるような気がする。
それを自分でももちろんしっかり持たないといけないけど
次の世代に繋いでいかなくてはいけないのに
それがうまくできてなくて申し訳ないと思う。

背骨を伸ばせ、子供たち。大人たち。
posted by ぴよ♪ at 07:18| Comment(2) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月10日

あたまの中

本を読むとか人の文章を読むってのは
書いた人が何を考えてるのかを知ること。
考えの共有。共有という言葉をこういう風に使うのは
養老さんの本で気づいたこと。

本を読むっちゅうのはなぁ、人様の頭の中を覗かせてもらえるっちゅうことなんやで。
知ってることを教えてもらえる、すごいことやで。だから本読めよ。
と、本に馴染まない子供たちに勧めてみる。
・・・そうか。映画、パソコン、音楽、マンガ、楽しいことはいくらでもあるわなぁ。

ニュースだって新聞読まんでもTVつけただけで耳に入ってくる。
画像つき。
それはそれでいいんだけど、もうワンステップ。

目の前にないものを文章を読んだだけで頭の中で想像する
それって、人間の特権やん。

ブルース・リーは Don't think.Fee〜l. っていってたけど
君に必要なのは thinking や。
感じるばかりじゃなく、考えろ。脳みそ使え、脳みそを。

説教への反抗心が本離れに拍車をかけるのか^^;
あはは(泣)
posted by ぴよ♪ at 07:19| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月09日

ありゃ

ほとんど更新していない私がいうのもなんですが
楽しみにしているブログがなくなってたりすると
さびしいですなぁ。

ネットの向こうにはそれぞれの実生活がある
会ったことも見たこともない人の笑顔を想像して
がんばってね、とエールを送る。

(*^^*)
posted by ぴよ♪ at 06:56| Comment(3) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月27日

人間性

朝の情報番組でハシモト弁護士が、他の人の言った意見に反論して
「経済市場にモラルを持ち込むのはどうかと思いますけどねぇ」と
怒った顔をしてた。

私は株やビジネスは全然わかんないけど
市場だってやってるのは人間。
モラルがないと信頼関係が構築できないんじゃないの?
信頼できないとお金も動かせないんじゃないのかなぁ。

私は性善説をとらない
本当に、善に生まれついてる人もいると思うけど
教育の甲斐なく悪の道にしか進めない人もいないとは思わない。
だからネットでの買い物も怖くて気軽にはできないんだけど
たまにする時はちょっとドキドキ。
お金を払ったのに品物が届かなかったらどうしようとか
品物を送ってもらったのに払い忘れてしまったらどうしようとか。
それをちゃんと動かすのは「モラル」じゃないんだろうか。

四角四面のルールはもちろん必要だと思う
けどそれを運用するのも人間だから

裁判にだって情状酌量ってのがあるじゃない。

経済活動をすることによって何を得るのか
もちろんお金なんだろうけど
それ以外はないと思うのは、なんか違うような気がする。
どうやって得るか、得たお金をどう使うかにも
その人の「人となり」が表れるような気がする。

何をするにも「どう生きるか」ということにつながってる

そういう見方もあるということに気づくだろうか
理解できないだろうか、そんなことはどうでもいいと
考えもしないだろうか。。。
posted by ぴよ♪ at 09:36| Comment(3) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

謙虚さ

社会を動かしていこうとする人に望むものは


経験からくる自信、深い考えを伴った決断力



ヒトの視界には限界がある。
ということをわかった上での行動、言動


唯我独尊と思い込まない柔軟性

先人の知恵に敬意を払うこと

社会を構成している一人一人が
命を持って生活してることをイメージする力

正義感
posted by ぴよ♪ at 07:18| Comment(4) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

まとまりのない話

「学ぼう!算数」という本の出版に関する新聞記事を読んで思い出したことあれこれ。

私は中学までの数学が好き。高校の数学はあまり記憶がない。理科もあまり記憶がない^^;覚えているのは、苦手な物理の中間試験で赤点を取ってしまい(恥)『私はこの物理の先生が大好きだ』と自己暗示をかけてしっかり授業を聞いたら期末試験で挽回できたこと。
生物は私よりずっと成績のよい兄に聞いたら「お前はこんなもんもわからんのか!前の学期に何をやっとったんぢゃ!アホか!ボケか!死んでまえ!」と言いながらヤマをはってくれて、そこがばっちり出たので塩基配列あたりはそれまでより点がよかった。けど、それ以降二度と聞かなくなったのでその時ほどいい点は取れなかったこと^^;

長男の高校受験の頃、ときどき数学の問題を聞かれた。考え始めると解決するまで他のことができない。私のおつむのレベルはあまり高くないので中学生の数学でも瞬時に答えが出ないことが多々ある。でも解き続ける。夕食後に始めるとお風呂も寝る用意も朝の準備も後回しにしてやる。夫があきれる。人間にも慣性の法則があるとどこかで聞いた。一つのことをやり始めるとなかなかやめられないのね。それも続ける理由のひとつだとは思うけどもっと大きな理由は、考えることが面白いからだろう。わかりそうですぐにはわからない。けどがんばってればできそうな気がする。で、解決した時の気持ちよさは私の感じる快感の5本指にも入るほど大きい。達成感充実感爽快感の混ざったもの。で、もう一問、今度はもう少しレベルを上げてより手ごたえのあるものを、と求める。この「充実感を味わうために求めるもの」が中学時代は数学じゃなくていろんな人の本を読むことと音楽を聴くことだったのでした。

次男がパソコンにはまってる。2学期の成績があまりにもひどかったので(T-T)3学期からは土日にしかやらないと自分で決めて宣言して冬休み最後の日、ホームページつくりを教えてほしいという彼の横で一緒に作業した。この理解力でなぜあの成績?!と思うほど着々と進めていく。なんとかTOPページの形ができたところで終了。「次は土曜日までパソコン触られへんのかぁ、きついなぁ」といいながらわくわくと待っている。2学期の成績に自分でもショックを受けたのだろう、反抗的だった部分を抑えて前向きになろうとしている意欲が伝わる。続けばいいな、と思う。扱いにくい奴だけどなかなかおもしろい、と思うのは親ばかだろうか。

挫折やショックや諦めや高揚感、達成感などなど、体験からいろいろ感じながら自分の足で自分の道を歩いていけよ、と願う。ここから先の連想は「ほめるな」の読後文に繋がります。
「学ぼう!算数」はまだ読んでないけど読んでみたいなぁと思ってる。

頭の中ではどこかで繋がってるんだけど読んでみたら脈絡が見えないだろうな、という記事でした^^;すいません。
posted by ぴよ♪ at 09:56| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月07日

小学生の女の子が命を奪われる事件が続き
言葉に表せないぐらい悲しみ、怒り、憤りを感じる。

でも
今日の某新聞の「複数登下校不徹底」
という記事をみて、それは無理なんじゃないか、と思った。

先生が全員一人づつ家まで送れるわけじゃないし
おうちの人がみんなお仕事してる子供も
今のご時世、多いと思う。
被害にあったお子さんたちも途中までは友達と一緒だった。
学校を出る時は複数でも、
玄関まで全員が複数で帰れるってことはないでしょう。

今できることは地域巡回のおまわりさんを増やしてもらうとか
この町の大人は犯罪を防ごうとしてるという意識を
表すために子供110番の旗を増やすとか
井戸端会議を道のあちこちでやって、外に大人の目を増やすとか

それとは別にもっと根っこのところで
犯罪をなくすために
倫理感道徳感を育てる教育をする

真面目に生きることはかっこ悪いことじゃないと
ドラマや漫画でアピールするとか
悪いことをする大人をきっちり断罪するとか

子供は結構社会を見てる。

昨日、ホワイトバンドをファッションとして身に着ける
中高生の姿がニュース番組で紹介されていた。
ただ身を飾るだけでなく意味もわかって
「お小遣いの一部が誰かの役に立ったらうれしい」と言ってた。

こういう子達を裏切らない人間が増えるといいなぁ、
この子達がその気持ちをなくさずにいてくれるといいなぁ

と思う。
posted by ぴよ♪ at 07:29| Comment(2) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月02日

ちょっと前、ひっさしぶりに教育委員会の方から電話があった。
「わかってるんです。事情がおありで
できる状況ではないということは。
そこを何とか、引き受けていただけないでしょうか。
市に、小学校の免許を持つ方がもういないんです」

あー(悶)。ごめんなさい。ごめんなさい!
講師登録もしていない私のところにまで電話を下さるのは
もう本当に人事の方が切羽詰ってらっしゃるんだということ。

この時期。
運動会までは何とか持ちこたえた。
大きな行事はクラス単位でなく学年で動くことが多い。
複数の教師の目で抑えられていた子供たち
ほかの先生に助けられていた担任が
日常の担任ひとり対数十人のクラスに戻る。
箍が外れる。

今の私は人手の足りない職場でのパート生活を楽しんでる。
急に辞めたりしたら迷惑をかける。
教師に比べると自由になる時間が多く
我が子と顔を合わせる時間もあり
義母や母の様子も見に行ける。
自利。

これを手放してたぶん崩壊している学級の講師を
もし受けたとしたら。

今日明日の数十人を見る大人の目がなく
とにかく子供の前に立つ教師がほしいという
学校、教育委員会の利にはなるか。

やり始めたら私はがんばると思う。
自分で言うのもナンだが。
でも経験の乏しい、技術のない私の授業を受ける子供。
薄い薄い利。
害の方が大きいかもしれない。

子供たちの前に立つことで
私自身が得るものが大きくうれしかった経験もある。
それがあるからこんなに気になるんだと思う。

兄の小学校時代の担任だった、私の好きだった、
私の教育実習のときにもお世話になった、
子供といることが好きで管理職にもならなかった先生が
(長い形容詞^^;)
体調を崩して2学期から休んでいるらしい。
自分の親の介護というのも休む理由のひとつだけど
今年の先生のクラスは授業が成り立っていなかったと噂で聞いた。

その先生のクラスの特定の一人の子を思い浮かべてみる。
学校には勉強しにいくわけじゃない。
大人を舐めてやりたいことをやる。
やりたくないことは全力で拒否する。
親に協力を求めても「仕事してるから知らない」という。
我が子のことを。
(ちょっと前の日記と人物がつながってしまったけど、
そういう親は一人だけじゃない)

きっと、私が派遣されるのも
そういう子たちのいるクラスだろうと思う。
ここで己を捨てて私がどうにかしたいという思いに
激しく駆られるのだけど
おこがましい。できるわけないぢゃん
言い訳がいっぱい頭を巡る。

ごめんなさい。やっぱり 逃げてしまいます。

とりあえず今日は
時々出始めた自分の頭の混乱に恐れを抱く、
今日のところはしっかりしている母と
高齢介護室にこれからのことを相談しに行って来ます。
posted by ぴよ♪ at 09:48| Comment(8) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

脳内浮遊状態

ここで書いてることとか
よそでコメントさせてもらった自分の文章を読み返してみると
「漠然と感じる」という言葉が
驚くほど多いことに気づいた。
(ここでも驚くほど、と書くか、
他の言葉はないか考えて
これでいいかな、と漠然と感じて使ってる。
すんごいとかめっちゃとかとってもとか
なんて貧困な語彙。)

気をつけよう。
「思い至った」とか「考えた」とか
「わかった」「なのである」と言い切れない。
実際の私の頭の中の状態を言葉にすると
たくさんのいろんな事柄がうまくつながらず
浮遊している状態で、
「漠然と感じる」という表現が妥当だと思うのだけど

もうちょっとちゃんと頭使わなくちゃ。
反省。
posted by ぴよ♪ at 07:16| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

歯車

社会の歯車になる という言葉は
否定的に捉えられる方が多いと思うけど
自分が歯車のひとつになって、社会全体の動きの
小さくても何か、役に立つのはいいことだと思う。
それだけでは他を利するというところまでは行かないかもしれないけど
「生きている」その短い時間をどう使うか
「俺は何のために生まれてきたんだぁ!」のひとつの答え。

例えば、生まれたばかりの子供でも
その子のために働く父がいて、母がいて、
お医者さんが動いて、布団を縫う人がいて、売る人がいて…
動く社会の中でその存在は無力ではない。
ひとつの歯車となって世の中の動きに関係している。

:::::::::::::::

歯車となって人(他の歯車)と触れ合いながら生きていく。
同じ回るのなら潤滑に噛み合って回るのがいいと思ってきた。

あー、でも、個々のギザギザはちゃんとでこぼこしてないとダメね。
丸いばかりでは滑って回らなくなってしまう。

生まれたばかりの時小さく隙間に入り込んだ歯車が
十数年たち大きくなってきた。
痛い痛い★ぶつかりすぎて軋み始めたよ。
今がちょうど歯車の形を合わせるのが難しい時なのかもしれない。
負けるもんか。こちらが合わせるばかりじゃダメ。
お前もちゃんと形を合わせろ。一人で回ってるんじゃないんだ。

お前も痛みを感じて少しは丸くなれ。
自分から合わせ方を考えろ。

硬い態度でい続けるのはめんどくさいけど
がんばれ、私。
posted by ぴよ♪ at 16:01| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月26日

利他

ちょっと旧聞になってきましたが
最も幸せな日本人像は都市部に住む30代主婦という新聞記事の中で
宗教心のある人という言葉があって、ちょっとびっくり。

『宗教心のある人とない人に
他人の生活水準が気になるかならないかを聞いた場合
宗教心のある人の方が気にならないと答えた』ということらしい。
今の日本人の宗教心って、どんなんやろ。

私は個人的にキリスト教で教えることは『愛』
仏教は『利他』というイメージを持っている。
災害募金の集まり方などを見ると
そのどちらも感じることがあるけど(いや、主に愛の方かな)
普通の日本の暮らし、マスメディアから受ける日本人像からは
あまり宗教心のある民族とは思えなかったんだけど。

約十年前のカルト集団の犯罪以降宗教のイメージは
悪くなるばかりかと思っていたけど
そうでもないのかなと、認識を改めなくちゃと思った。
怪しげなものとまともなもの(何がまともかと
突っ込まれるとちょっと困るけど)の違いを
捉えて選べる意識をもてるのはいいことだと思う。

お天道様でもお釈迦様でも神様でも
何かに対する畏敬の念を持つのは
犯罪の抑止力になるんじゃないかと
前から考えていた。
自分を律する判断基準を持ちにくい人は
古来から大切にされてきた宗教の教義を目安にするのも
ひとつの方法かもしれない。

私自身はいろんな宗教者の考え方に触れるのが好き。
最近気になってるのが『利他』ってこと。
何が他の利になるのかってこと。
考えても今は答えが見つからない。

親鸞は自らを、一度極楽浄土に往生し
またこの世へ帰ってきた環相廻向の人であると信じ
苦しんでいる衆生を助ける道を歩いた(らしい)。
京セラの稲盛さんも利他の精神を強く持ってる人なんだなと思う。
これが利他なんだろうと思うけど
今自分の身近にある『他』の『利』は難しい。

ただ往生廻向を目指してでも
まっとうに生きていこうと思えればいい。
またはキリスト教の影響を受けて隣人を愛せればいい。

30代主婦の宗教心ってどんな感じなのかよくわかんないけど
幸せな人が増えて犯罪や暴力、意地悪や妬み嫉みが
少なくなればいいな、と思う。
(なんかポイントずれてるよな。
書き始めたのは11月18日でした。
こんな終わり方するつもりじゃなかった気がする(--;)
posted by ぴよ♪ at 23:04| Comment(4) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月16日

反抗期

みあれちんにコメントを書いてから
もう一回これを読み直したら
長男と次男の違いがまたちょっと見えた(^^;

次男は 反抗期 です(笑)
posted by ぴよ♪ at 07:30| Comment(2) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月04日

金銭欲支配欲

「考えるのが好きだった」のほりさんの記事を読ませてもらって
私も考えてみました^^

>金銭欲や支配欲のような人間独自の新しい脳に関わる欲求を制御できる装置(引用)
はないけども、若い世代より上の方の年代の人は
たとえば今のIT成金(言葉悪いです。すいません)の行動に
非難の目を向けてしまう人が多い。
金銭欲、支配欲を肯定することはかっこよくないというような
過去の日本人に求められた倫理観の影響かと思います。
新たな欲望を抑える脳が発達していないから
(そこが発達していないとは知らなくても)
道徳、倫理などでそれを抑える役割を果たすものを
外から、あとから、与えていく必要があるのかな。

でもバブルに踊った人でも戦前の修身を習った人は
少なくなかっただろうし
今の日本は拝金主義を否定しないような人が多くなってると感じます。
「あとづけ」が機能してないからかな。

食欲は、制御しないと自分自身の体によくないので
きっと、脳が感じて調節してくれるんだろうけど
支配欲や金銭欲をなぜ制御しないといけないか、
制御しなかったらどうなるのかは
自分の体内で判断できることではないので
やっぱり「あとづけ」で抑える機能を働かせないと
いけないんじゃないかと思いまふ。
それともいつか脳が判断する時代が来るんだろうか。。。?
posted by ぴよ♪ at 07:38| Comment(8) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月28日

文化祭

今年は次男の中学の文化祭に行けなかった。

1年坊主は詩の朗読だったらしい。
一人で声を出すところがあったり斉唱したり
残って練習もしていたようだ。

観に行ったお母さん友達が、私の顔を見るなり
「散々やってんでー!」と憤慨して言った。

1年の発表はクラス単位で順番に朗読をしたんだけど、
3年からの野次がひどくてかわいそうだったと。
5クラス中まともに聞けたのは最初の一クラスだけ。
1年の先生も3年の先生も注意しなかったと。

その話を聞いて長男が
「僕らの時はそんな態度やったら
終わってからめっちゃ怒鳴られたで」といった。

今回騒いでた子が終わってから怒鳴られたかどうか、私は知らない。
今年の3年は小学校の時から「荒れ」がひどいと言われていた。
(むちゃくちゃ暴論ですが少年野球と学級崩壊との関連性を
誰か調べた人はいないのかな、と考えたりします。
もちろん、学業も野球も精神面も秀でている子もいるとは思いますが。
少年犯罪が問題になってきた世代にたまたま野球人口が多い
という可能性もあるかと思いますが。話がそれました。)

そんな学年を何とか抑えてここまできたんだから
望ましい態度のレベルを上げるのはキツイのかもしれないけど
ここで教えずにどこで教える?
荒れる成人式の芽はもうとっくに出ている。

幼稚園児でも年長児になれば
事前に「静かに聞きましょう」と約束すれば
とりあえず聞けることが多い
2,3歳の子には難しくても。

でも私の知ってる幼稚園児は過去の姿で
今は小さい子でも聞かないだろうか。
そういえば親の姿勢とともに子供も昔とは変わったと
教師の嘆きも聞く。

あー、でも・・・
昔、辻久子のヴァイリンを聴きに行った時
あまりに私語が多くて母が憤慨していたことがあった。
時代のせいだけじゃない、年齢のせいじゃない・・・。

仕事の都合で行かなかった、私のような親もよくないかもしれない。
野次を飛ばしていた3年の子の親がもし来ていて
家に帰って「あんたの今日の態度はなんや!」と叱れれば
その時には反抗しても、ちょっとぐらい体のどこかに
記憶が残るかもしれない。
それをしてもらえない子供は
かわいそうなんじゃないだろうか。

このごろ自分の中で価値観が揺れている。
何があっても、ちっぽけな人間の営み。
地球の、宇宙の、塵にも満たない時間、命。

それでも地球は回っている。。。

そう感じながらも
やっぱり目の前のことにはきちんと対処していって
できるだけ気持ちのよい毎日を過ごしたい。
私にとっての気持ちのよさは
誠実であること、笑顔で接すること
受け留めることができること、
愛すること、誉めてもらうこと・・・。

宇宙の広さと人間の百年と目の前の事象との
バランスが頭の中でうまく捉えられない。
ナンデモアリ、一切空に傾きそうになるけど
そうすると無責任になりすぎる気もする。
四十にして三十の時より惑っているようだ。


ただ…ひとこといってもいいかな。



  何が文化だ。

(Y)-¥-;(Y)
posted by ぴよ♪ at 23:52| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月21日

個性

一時よりは落ち着きましたが
韓流ブームが世間を賑わしていましたね。
リアル友達でもぺ様やチェ様(それしか知らない私^^;)の話で
盛り上がってる人達がいました。

日本でTVを見て喜んでいるだけでなく
当地まで行って騒いだはるご婦人方の多さに驚き、
数年前まで日本語の歌を放送することさえできなかった国、
反日感情の強い人たちがいっぱいいるところで
熱を上げてること考えると
なんか、バランスよくないよなぁ、とは思ってた。

でもね。
逆にあまりに強い嫌韓、嫌中の人の意見に遇うと
それもいかがなものか、と思うのです。

昔、30年ぐらい前
父の勤める会社にK国の方達が10人ほど研修に来はって
仕事帰りにうちに寄ったりして
小学生だった私の遊び相手をしてくれたりしました。
少し年配の人たち(父と似たような年頃の人たち)は
だいたい日本語を話せました。
「かつて日本が韓国を植民地としたから日本語を話せるんだよ」と
その人たちが私に教えてくれたと思います。

その頃のK国の新聞はまだ漢字とハングル文字が混ざっていて
日本の漢字とひらがなの混ざり具合と似てるな、と思いました。
よその国だけど仲間なんだ、というのが私の根っこにある感情。

今、靖国参拝を非難したり、何度も謝罪や補償を求めたり
日の丸を燃やすなどの行動に出る人がいるのを見ると
やはり、国として施した教育が偏っていたんじゃないか
自国のプライドと今の平和と相手国の文化とが均衡を保てるような
考え方ができないかな、と思ったりするけど

十把一絡で国や人に対する印象を固めてしまうのは
なんか、悲しい。。。
私自身、狭い知識で偏見を持つこともあるから
反省しつつ、柔軟な脳、できるだけ広い視野を持ちたいと思う。

各国の政策として、「国」という集団が
それぞれ国民の、国の、利益になるように
主張するのは当然のことなのだから
それぞれが主張すべきところは主張し
スルーするところはすればよし、
折衷案でもあるところはそうすればよし
そういうのは、政府高官のみなさまに
がんばってくれよと、お願いしたい。

国民性、地域性、性差、歳の差などなど
括りはいろいろあるけど
個人レベルでのお付き合いはやっぱり個性が問題で
そして、個人での付き合いが深まり、つながって
お互いを尊重しつつ争わず、という関係を
築ければいいなぁ〜〜〜〜〜!
posted by ぴよ♪ at 07:07| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。