2006年05月13日

「武士道」



新渡戸稲造著 奈良本辰也訳・解説

星五つ。

この一冊に出てくる夥しい数の人物名と引用文は
著者の知識の氷山の一角でしかないだろう。
ある一行の文章に出会うまでに、それが書かれてあるその1冊 以上の本を
読んでいるだろうことを思うと
これが書かれた時代、著者の年齢からして
(1898年37歳アメリカ滞在中に英文で書かれたもの)
すごいなぁ、とまずそこで感心。

この人の専門である農学 以外の知識の幅広さがうれしくなったのでした。
で、そんな幅広い知識を持った人が三浦梅園という人の言葉を引用して
「知識というものは、それが学習者の心に同化し、
かつその人の性質にあらわれるときにのみ真の知識となる」
と書いているのが感動なのです。

これは別のところで書かれていることですが

≪引用≫
 武士の訓育にあたって第一に必要とされたのは、その品性を高めることであった。そして明らかにそれとわかる思慮、知性、雄弁などは第二儀的なものとされた。
 武士の教育において、美の価値を認めるということが重要な役割を果たしてきたことはすでに見てきたところである。それらは教養ある人にとっては不可欠であるが、サムライの訓育にあたっては本質をなすもの、というよりむしろ外見であった。知能が優秀であることはもちろん重んじられた。だが、知性を意味する時に用いられる「知」という漢字は、第一に叡智を意味し、知識は従属的な地位を与えられるに過ぎなかった。
 武士道の枠組みを支えているかなえの三つの脚は「智、仁、勇」といわれ。それぞれ、知恵、慈悲、勇気を意味している。
≪引用終わり≫



また私が特に大切に思う「誠」と「仁」(この名前を親にもらった人、素敵だねぇ。
あはは、そこのあなたですよ^^)から

≪ところどころ引用≫
「仁」――人の上に立つ条件とは何か
「武士の情け」すなわち武士の優しさは私たちのうちにも存在するある種の高潔なものに訴える響きをもっている。・・・それはサムライの慈悲が盲目的衝動ではなく、正義に対する適切な配慮を認めているということを意味している。
・・・仁の心をもっている人はいつも苦しんでいる人、落胆している人のことを心に留めている。
≪引用終わり≫


違和感なく沁みるように頭の中に入ってくる。
これはやっぱり私の精神的な支柱が
司馬さんの歴史小説によって育てられたからか、と思う。
何を美しいと思うかの基準がここにある。
老荘思想や儒教などは輸入されたものだけれども
入ってきた種を日本独特の気候風土や日本人の心情など
あらゆる肥料をやって育て
長い年月をかけて「武士道」として日本に根付いた心の持ち様を
昔のそのままの形ではなくても、何とかして次世代に伝えていけるといいなぁ。
上にいくつかの箇所を引用したけど、やはりそこだけを取り上げたのでは
バランスが悪いと思う。
ぜひ、全体を読んで、偏らない、狭くならない見方で知ってほしいと思います。

posted by ぴよ♪ at 09:37| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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